忌宮神社 その4 神功皇后
2014/01/11
(写真はGoogle画像検索より)
忌宮神社の祭神である「神功皇后」は、仲哀天皇のの皇后であり、応神天皇の母である。神異名を気長足姫命(おきながらたらしひめのみこと)、息長帯比売命(おきながらたらしひめのみこと)、聖母大菩薩(しょうもだいぼさつ)と呼ばれています。
おきながらたらしひめ命のおきながは、地名(近江国の息長)とも長寿の意味とも言われていますが、気長足姫命の字をそのままハングル読みにすると、「キジャン ジョク ヒ」と発音され、韓国では国の単位が、「国」の次に小さい国を「原」、更に小さい国を「足」と呼びます。
韓国釜山の東側に「機張 キジャン」という町があり、気長足姫命は、そのまま「キジャンの国のお姫様」ということになります。機張に「新羅に攻められ国滅ぶ、姫は供を従え東方海上の神ノ国に逃れる」との伝説があるようです。
滅亡した小国「機張」の町に忌宮神社の奇祭「数方庭」とよく似た竹幟の神事が「ソッティ」と呼ばれ残っています。
(写真はGoogle画像検索より)
北九州から下関の響灘沿岸には、神功皇后にまつわる伝説地が数多くあり、筑紫国に凱旋してから出産したので「宇美町」と言われています。下関でも熊襲・新羅征伐から凱旋地が蓋井島、しばらく滞在した後、蓋井島から海を渡って吉母の海岸で出産。吉母には、「えな塚」(えなとは胎盤のこと)があります。どこで出産されたか色んな説があるようですね。