野久留米街道
2013/12/24
功山寺前から緩やかな坂道を唐戸方面に向かうと、途中に橋が見えてくる。
(ちょうどカーブミラーがある辺り)
その昔唐戸方面から藩士の行列が城下に入ってくるとき
その橋の手前で隊列を整え、二列になったことから「二行橋」と呼ばれている。
その「二行橋」のたもとに軍神広瀬武夫中佐を顕彰した石碑があります。
明治37年(1904年)に始まった日露戦争時に、旅順港閉塞作戦の最中、危険を顧みず
沈みゆく船の中に取り残された部下を助けに向かったところ、敵弾にあたり戦死した。
(部下は、その時既に船に乗り込んでおり、情報がうまく伝わっていなかったようです)。
広瀬中佐は、戦場に向かう前に友人の見舞いに行き、それを称えた顕彰碑だそうです。
同じく「二行橋」の近くに「庚申塚」があります。
庚申塔(こうしんとう)は、庚申塚(こうしんづか)ともいい、中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔のこと。庚申講を3年18回続けた記念に建立されることが多い。塚の上に石塔を建てることから庚申塚、塔の建立に際して供養を伴ったことから庚申供養塔とも呼ばれる
Wikipediaより
ここの庚申塚が面白いのは、石の裏面に間違えて「申庚」と途中まで掘ってあること。
もったいなから、裏返してその石を利用したのでしょうね。
気になる方は、一度ご覧ください。